ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)《ファウストとワーグナー》1827 年 リトグラフ

 水と油の反発作用を用いた版画技法であるリトグラフは18世紀後半に発明されたが、この技術を用いて早期から優れた美術作品を制作した画家の一人が、19世紀フランスのウジェーヌ=ドラクロワである。フランス語版『ファウスト』第一部の挿絵は、ドラクロワによる初めての本格的な連作リトグラフであり、全ての挿絵をあたかも独立した版画作品かの様に1ページ大で製作する手法は当時の常識の範疇を越えるものであった。ドラクロワによるイギリスのロマン主義の影響を伺える突飛で誇張した身振り、激情的な明暗対比などの描写も当時の読者には衝撃的であり、挿絵は酷評され、売り上げも芳しくなかったとされる一方で、『ファウスト』の作者ゲーテはドラクロワの比類ない才能を絶賛した

本作品『ファウストとワーグナー』はそれら一連のリトグラフのうちの一つである。下部中央の記銘は、助手ワーグナー(中央左)に向けた以下のような学者ファウスト(中央右)のセリフである。

 “Heureux qui peut conserver l'espérance de surnager sur cet océan d'erreurs! ...L'esprit a beau déployer ses ailes, le corps, hélas! n'en a point à y ajouter.”

「過ちの海の上で生きながらえる希望を保つことのできる人は幸福だ!…精神がいかにその翼を広げようと望んでも、ああなんということか、肉体はそれに何物も与えないのだ。」

 ファウストは頬杖をつき、悩みを解さない助手ワーグナーから目を逸らし、苛立った様子である。この場面では周囲の行楽に興じる人びとの明るい雰囲気と陰鬱な二人の姿が明白な対比として現れており、いくら学問を修めても世界の全て知り尽くすことは不可能であることを知ったファウストの絶望、悲壮が強調されている。ファウストの苦悩の姿は前作から引き続いたものであり、連続性を重視するドラクロワの制作態度が明瞭に認められる。


【参考文献】

・橘秀文編著『ドラクロワとシャセリオ―の版画』岩崎美術社

・富山県立近代美術館『石に描くー石版画の200年 ゼネフェルダーからピカソまで』


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